施設案内

茶屋 ももの木

ロビーは和の情緒あふれる茶屋「ももの木」です。和風庭園を眺めながら、ごゆっくりご歓談いただけます。

営業時間
7:00~21:30

メニュー
コーヒー・紅茶・ミルクなどをご用意しております

室内庭園

館内には趣のある枯山水を配した庭園がございます。

売店

オリジナル商品、各種お土産の販売の他、宅配便のお取り扱いも承っております。

フォトギャラリー

宴会場
和婚式
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創業の歩み

創業の歩み「竹の葉は、どんな風雪にも耐え、根強くすくすくいきていく。そんな強さをもった宿にしたい…」。 創業者の大桃ゑきえは、その思いから『竹葉』と命名し、今日の『竹葉 新葉亭』の礎を築きました。
先代女将 大桃ゑきえ
木村 重次郎

第一章<創生期>すべては母を思う気持ちから


昭和二十一年(1946)、戦争により荒廃した函館中心部をさけ、大桃ゑきえは当時、一面が畑であった
湯川の地に、民家を譲り受け、夫と年老いた母とともに移り住み、十六歳の頃から始めた芸者をしなが
ら、 戦後の混乱期を必死で生きた。当時、隣にあった湯川の老舗旅館「高砂」に、年老いた母を温泉に
入れた いとの思いから、三年間、雨の日も雪の日も毎日通い、頭を下げてお願いし、やっとの思いで五
十石の温 泉を分けてもらう。これをきっかけに、昭和二十四年、客室五室、温泉五十石にて温泉旅館
『竹葉』を営 む事となる。

旅館を始めるといっても、旅館経営の知識・経験はまったくなく、さらに当時は、他の旅館から教えを乞
うというようなことはできなかった。そこで救いの手を湯の川温泉旅館組合に求めた。ゑきえの人柄にほ
れこんだ、湯の川温泉旅館組合の方々は快くゑきえの頼みを聞き入れ、旅館経営のイロハを教えてくだ
さ った。

開業と同時に、函館で一、二を争う程の腕をもつ料理人、木村重次郎(後の函館割烹調理師組合理事長)
を料理人に迎え、温泉旅館『竹葉』の基礎基盤が築かれる。木村重次郎を料理長として迎えることにより、
竹葉の料理は美味しいと評判になり、宿泊客も徐々に増えていった。
お出迎え

第二章<繁忙期>日々の努力と研究心をもって


「純和風旅館」を目指していたゑきえは、『竹葉』開業以来、毎年のように京都の老舗旅館を訪れた。飛
行機などまだないこの時代、函館から京都まで行くには莫大な費用と時間が必要とされた。しかしその
費用と労力をもってまでしても、ゑきえが京都へ足を運ぶのには理由があった。それは京都の宿には
『竹葉』が目指すべき宿の精神、サービスなど全てが揃っていたからである。ゑきえは自ら最高の料金
を支払い、最高のサービスを受け、京都の老舗旅館の“もてなし”を身をもって体験し、それを自分自身
の肥やしとして旅館経営へと生かし続けたのである。京都で得た知識・経験をゑきえは即座にお客様
へのサービスとして還元していった。

また京都への旅の際には、必ず東京の旅行代理店に立ち寄り、自らが『竹葉』の広告塔となり地道な
営業活動を続けた。その甲斐あって、本州からの団体旅行客は徐々に増え続け、旅館経営もなんとか
安定してゆくこととなる。
前女将 西野テル

第三章<現代>そして、ゑきえは竹葉の至宝となった


ゑきえが病の床についていた昭和六十二年夏、その日は、『竹葉』開業以来お世話
になっていたお得意様の宴が催されていた。食事も満足にのどを通らない状態の中、
普通ではお座敷に出ることなど決して出来ない体にも関わらず、ゑきえは自らの死期
を悟ったかのごとく「このお座敷にだけは出る」と周囲の反対を押し切り、お座敷へと
向かった。

病であることを悟られることを嫌ったゑきえは、病人とは思えないくらい、 背筋をピン
とのばし、ビールを一杯だけ飲み干した。そして最後のご挨拶を済ませると、ふだん
と変わらぬままその席を立ち去った。

この年の秋、三十八年にも及ぶ『竹葉』での女将としての生活に別れを告げ、 ゑきえ
は静かに世を去った。そして今、二代目の西野テルに引き継がれた『竹葉 新葉亭』
は、ゑきえが築いた「純和風旅館」という生い立ちはそのままに、新しい時代に対応
しながら、今日もまた訪れる人たちに、心和む笑顔を投げかけてくれる。 ゑきえが築
き、実践した“おもてなしの心”をもって…。